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秋山翔吾選手との対戦!ハイレベルな大学野球!

  • 執筆者の写真: hannokizawa yuto
    hannokizawa yuto
  • 2023年8月8日
  • 読了時間: 5分

更新日:2023年8月15日

#岩手県 大槌学園教師 三浦 翔太



盛岡大学附属高校から岩手大学へ


ー 高校から大学へ進学するにあたっての話をお聞かせください。野球強豪校の盛岡大学附属から、県内唯一の国立大学である岩手大学へ進学されましたが、何をきっかけに岩手大学を目指したのでしょうか?

三浦:高校の進路を決める時に、父親にも猛反対されていて、中学生の時から親を納得させるために、岩手大学に行くという高校卒業後の目標を話していました。


「将来的に中学校の先生を目指すから、そのために免許を取れる岩手大学に行こうと思っている。高校3年間の野球の中で、どんなに花開かなかったとしても、岩手大学に入って、ちゃんと教員免許をとって先生になれるようにするから」と親には伝えていました。教員になることは、中学生の時からずっと考えていました。将来についても色々考えて、宣言してはいました。ですが、さすがに高校3年生の時は野球に専念できる大学を選ぶか、当初の目標通り岩手大学進学を目指すか迷いましたね。


自身、甲子園にもいけなかったので。明治神宮野球大会に行きたいっていう気持ちはもっと強くなって、私立大とか全国を狙えるチームに行きたいと思ったんです。監督に相談したこともあったのですが、岩手県、北東北の私立大学からも全く声がかからなかったんです。


そこで僕自身が歴代の盛附のエース達と同じような評価をもらえていないことを感じました。目的は違うとはいえ、自分の目指していた岩手大学からも声はかからなかったです。実際自分が行きたい気持ちとは裏腹に、求められていなかったという現状もあったことを知りました。


不滅のリーグ記録、大学通算35勝


ー 岩手大学ではどういった生活や練習をされていたんですか


三浦:岩手大学の時は実家から通っていました。練習については、岩手大学は照明がないので朝練をしていましたね。学部もみんな違って、授業も違うので、朝しか集まる時間がなかったです。シーズン中は朝6時から2時間、8時半まで練習して、10分で着替えて講義に行っていました。あとは空きコマの時間でそれぞれ自主練していましたね。


甲子園出場クラスの選手もいなかったですし、青森秋田とかの進学校から来た人が多かったです。でも一生懸命やってましたね。本当に皆でがむしゃらに、出来ることをやってなんとか喰らいつこうという、そういうファイティングスピリッツが他校に負けないくらいあったのかなと思います。だから楽しかったですね。その努力もあって、強豪大学に勝てた時は凄く嬉しかったです。



ー 大学のリーグでは1年時から優秀選手になられてますよね。通算記録の北東北リーグ最多勝利は未だに破られていないんですか?

三浦:そうですね、通算35勝。越されることはないと思います。そんなに今投げさせられない時代になっていますし。


ー 2011年3月11日。東日本大震災発生当時、三浦さんは岩手大学の3年生。生まれ育った地である大槌町に対する思いや、当時の心境などをお聞かせください


三浦:地震発生時は大学にいました。当時はボランティアくらいしか力になれることはないなと痛切に感じていました。その時から、自分の目標でもあるプロ野球選手になれば、大槌町出身の選手として有名になって、メディアに出演したりして、地元の現状をお伝えできるのではないかと思うようになりました。


なので、自分は夢に向かって一生懸命頑張って、少しでも活躍することを目標にしていました。それを見た大槌町の人たちが、喜んでくれるだけで嬉しいし、自分にできることはそれしかないかなと思っていました。震災以降は自分の目標にプラスして、「大槌のためにも」と思いながら頑張れた気がしますね。



衝撃、秋山翔吾選手との対戦


ー そういった目標も含めて、プロを意識し始めたんですね。

三浦:野球を始めた時からプロ野球選手になりたいという夢は持っていました。でも、実際は高校時代に甲子園にも出られませんでした。プロになりたいと思っていましたが、目標として口に出すのは恥ずかしくて。


その後、大学1年生の時に自分が思ったよりも結果を出せたので、現実的な目標にできると思い、プロを意識し始めましたね。大学1年生の春が終わってから、本格的な目標になりました。


春の試合の初勝利が強豪校の八戸大学だったんです。それで東北のスポーツ紙に大きく取り上げてもらったことで、できるかもしれないと希望を持てたといいますか。


八戸大学には読売ジャイアンツの高橋優貴選手や、私の1個上には広島東洋カープの秋山翔吾選手がいました。私が大学に入った時から秋山さんは試合に出ていたので、3年間飽きるほど対戦していましたね。


ー 実際秋山選手と対戦してみていかがでしたか

三浦:凄かったです。ホームランを打たれるという感じではないですけど、穴がないんですよ。足も速いですし、どこに投げても打たれて、出塁されます。しかもその時の八戸大学はそんな人たちがゴロゴロいたチームだったので。

八戸大学は、前年がちょうど明治神宮野球大会でベスト4に入ってた、スーパースター揃いの代でしたね。


ー 秋山選手との対戦成績や、印象に残っていることはありますか?

三浦:ホームランを打たれていない事は覚えてます(笑)

3年間対戦してホームランは打たれていないですけど、ツーベース、スリーベースはガンガン打たれましたね。1回えげつないピッチャーライナーが来たのも覚えています。死にたくないと思って出したグローブに入ったみたいな(笑)


ー 秋山選手は昔からマルチヒッターだったんですね

三浦:打球が勝手に伸びるので。角度がつけば普通に柵を超えるみたいな。何より走れて、守れて、厄介な選手っていうイメージでしたね。



広島東洋カープの秋山翔吾選手について
秋山翔吾選手の打球について語る三浦氏




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